“これはアイヒマン問題に限らず、一般的に言えることだが、ある重大な犯罪あるいは不祥事に関して、「あなたも同じことをやるかもしれない」と言われると、多くの人は、「そんなこと言われたら、実行した人間の責任追及をできなくなるではないか! 責任を曖昧にしたいのか!」と思って、感情的に反発する。そのように反発するのは、「前代未聞の悪いこと」をする人間には何らかの人格的欠陥があり、普通とは違う異常な判断・振る舞いをすると想定しているからである。そうした想定によって、「問題になっている悪者」と「この私」の違いを確認し、安心して悪者を糾弾できるようになるのである。”
フレンチ・キス (リル・ルイス)
シカゴハウスのオリジネーターの一人リル・ルイスの代表作である。中盤から流れ出るためらいの無い女性の喘ぎ声は、確実にリビドーをかきたてるであろう。困惑した教師にこっぴどく怒鳴られるが、轟く喘ぎ声でフロア(教室)を完全に支配した君はすでに音楽の持つ自由さを知っている。”
“愛は科学とは絶対的に相いれない。シェーラーが言っておりますが、もしある男が恋人を愛している論証を冷静に正確にやり遂げたら、すなわち「恋文の文体が素晴らしいから愛している」とか「眼が美しいから愛している」等々、挙げてゆけばゆくほど、愛からは遠ざかります。なぜなら、いかなる愛もその人という個物を「愛する」という了解がありますが、それをその構成要素に分解してしまうことは、その構成要素がなくなれば愛さなくなること、より優れた構成要素の持ち主が現れれば乗り換えうることを含意するからです。恋人の肉体が美しいから愛している男は、いずれ肉体が衰えてきたときは愛さなくなるでしょう。恋人より美しい肉体の所有者が現れたら、彼女より愛するようになるでしょう。
 こうして、フィアンセが「高収入・高学歴・高身長だから愛している」という女性の言葉にわれわれが直観的に反発を感じるように、家柄・財産・学歴・肉体等とにかく計測可能であり序列可能なものはすべて愛の敵対物です。これはわかりやすいことでしょう。しかし、「気立て」とか「優しさ」とかの言葉でもじつは、それ自身個物を超えた普遍性をもっておりますから、愛とは対立するのです。例えば母親が「うちの息子は気立てがいいから好きだ」と言ったらおかしなことです。じつは、愛する対象がもし個物なら、厳密にはいかなる理由も言えないはずなのです。個々の属性ではなくその人だから愛するのです。顔も悪く・頭も悪く・気立ても悪い娘を、──普通──世の親は、かけがえのないその子だから愛するのです。”